実用化を加速するIBM量子コンピューターのロードマップが描く未来

量子コンピューターの実用化に向けた競争が世界中で激化する中、その開発の最前線を走るIBMから重要な発表がありました。それは、開発ロードマップの更新です。この記事では、このロードマップが示す量子コンピューターの未来像と、その実現に向けた具体的な技術戦略について詳しく解説します。
前回、IBMロードマップについて言及している以下の記事も合わせてご覧ください。
論理量子ビットの重要性が強調される背景
今回のロードマップの更新で特に注目すべきは、プレスリリースにおいて「論理量子ビット」の重要性がこれまで以上に強調されている点です。これまでも論理量子ビットに関する記載がありましたが、今回は、その重要性がより一層鮮明に打ち出されています。
これは単なる技術的な進歩の報告ではなく、量子コンピューターが実用段階に入るための重要な方向転換を示唆しています。量子コンピューターの性能を示すマイルストーンとして、しばしば「物理量子ビット数」が用いられてきましたが、実用化への道筋を明確にするために、論理量子ビットが前面に押し出されているのです。
IBMの最新ロードマップでは、2029年までに200論理量子ビットの実現を目標に掲げています。数字だけを見ると、すでに1,000以上の物理量子ビットを持つ量子コンピューターと比較して少なく感じるかもしれません。しかし、この「論理量子ビット」こそが、量子コンピューターの実用化を大きく左右する、エラー訂正機能を持つ次世代の量子ビットなのです。
なぜ「論理量子ビット」が重要なのか?
量子コンピューターは、ごくわずかなノイズにも非常に敏感で、計算中にエラーが発生しやすいという弱点があります。これを「量子エラー」と呼びます。
そこで登場するのが「論理量子ビット」です。論理量子ビットは、複数の物理量子ビットを組み合わせて構成されます。例えば、「0」という論理量子ビットを表現するために、物理量子ビットで「000」とエンコードするようなイメージです。これなら、たとえ一つの物理量子ビットがエラーを起こして「010」になっても、多数決などで元の「0」を復元できます。
IBMの発表では、200の論理量子ビットを使用して1億の量子演算を実行するという目標が掲げられています。わずか50量子ビット程度の量子コンピューターでも、特定の計算においてはスーパーコンピューターを凌駕する潜在能力を秘めていると言われています。エラー耐性を持つ論理量子ビットが実現すれば、この潜在能力が真に開花し、これまで不可能だった複雑な問題の解決に道が開かれるのです。
「自転車アーキテクチャー」が切り拓くフォールト・トレラントへの道
今回のロードマップでさらに注目に値するのは、IBMが理論的には、すでに実現への道筋が見えていると明言している点です。その鍵を握るのが、新たに提唱された「自転車アーキテクチャー」です。
IBMが公開した論文「Tour de gross: A modular quantum computer based on bivariate bicycle codes」では、量子誤り訂正コード「Bivariate Bicycle Codes(二変数自転車符号)」を基盤に、機能的な最小単位を組み合わせて構成する量子コンピューターのシステム構造を、自転車に例えて表現しています。
例えば、同じ構造が周期的に並んでつながる様子は、車輪とチェーンで駆動するシンプルかつ効率的な構造を連想させます。また、論理ビットやゲート操作が自由にルーティングできる特徴は、道路に沿って自由に移動できる柔軟性と同様。さらに、モジュール交換や拡張が比較的容易な点も、修理や入れ替えが簡単にできることに通じています。
この「自転車アーキテクチャー」では、信頼性の高い大規模な量子コンピューティングを実現するために不可欠な、6つの基準が詳細に示されています。
- フォールト・トレラント(耐故障性):意味のあるアルゴリズムが成功するのに十分な論理エラーが抑制されること
- アドレス可能:個々の論理量子ビットは、計算全体を通して準備または測定できること
- 普遍的:量子命令の普遍的なセットが、論理量子ビットに適用できること
- 適応的:測定値がリアルタイムでデコードされ、後続の量子命令を変更できること
- モジュラー:量子的に接続された交換可能なモジュールの集合にハードウェアが分散されていること
- 効率的:適切な物理リソースで有意義なアルゴリズムを実行できること
この自転車アーキテクチャーには、モジュラー構造を持つことでエラー耐性を高める設計思想が盛り込まれています。従来の表面コードと同等のエラー訂正能力を持ちながら、必要な量子ビット数を大幅に削減できると期待されています。
2026年にも量子優位性実現!?加速する開発タイムライン
今回のプレスリリースで、IBMはさらに踏み込んだ発言をしています(日本語訳は筆者)。
現在、2029年までにフォールト・トレランスを実現する計画には自信を持っていますが、2026年までに量子の優位性をより早く実現することを期待しています。2029年まで量子コンピューティングの追求を待っていると、今アドバンテージスケールのアプリケーション開発に着手している企業に遅れをとることになりかねません。
これは非常に大きな宣言です。これまで2029年を目標としていたフォールトトレランスの実現に対し、早ければ2026年には「量子優位性」が実現する可能性があると示唆しているのです。
「量子優位性」とは、古典コンピューターでは現実的な時間で解けない問題を、量子コンピューターが解けるようになる状態を指します。つまり、これまでは絵空事のように語られていた量子コンピューターの圧倒的な計算能力が、あと数年で現実のものとなるかもしれないという期待が膨らみます。
IBMに期待できること:誤り訂正量子コンピューターのクラウド利用
今回のロードマップ更新で特に期待されるのが、「論理量子ビット」を用いた誤り訂正型の量子コンピューター(FTQC:Fault-Tolerant Quantum Computer)が、クラウド経由で利用できるようになるかどうかという点です。
IBMは、以前から量子コンピューターをクラウド経由で操作できる「IBM Quantum Platform」を提供しており、アカウントを作れば月10分までは無料で、127量子ビットの実機にもアクセス可能です。現在、他のいくつかの企業も論理量子ビットの実現を報告していますが、それらを一般にクラウド上で利用できる形で提供している例はまだありません。
もしIBMが、エラーに強い耐故障性の量子コンピューターをクラウド上で公開すれば、研究者や企業はより現実的な環境でアルゴリズムやアプリケーションの検証が可能となり、量子技術の実用化に向けた大きな前進となるでしょう。
参考:Pricing | IBM Quantum Computing
量子コンピューターの実用化が早まる可能性
今回の記事では、IBMが発表した最新の量子コンピューターロードマップについて、その重要なポイントを解説しました。
プレスリリースで強調された論理量子ビットの重要性、新しい設計思想による耐故障性の向上、そして2026年という前倒しされた量子優位性実現の可能性─これらすべてが示すのは、量子コンピューターの実用化が私たちの想像以上に早く到来する可能性があるということです。
量子コンピューターの実用化という歴史的な転換点を迎えつつある今、この分野の進化から今後も目が離せません。
参考
- IBM Sets the Course to Build World’s First Large-Scale, Fault-Tolerant Quantum Computer at New IBM Quantum Data Center – Jun 10, 2025
- IBM lays out clear path to fault-tolerant quantum computing | IBM Quantum Computing Blog
- Yoder, Theodore J., et al. “Tour de gross: A modular quantum computer based on bivariate bicycle codes.” arXiv preprint arXiv:2506.03094 (2025).
- https://arxiv.org/abs/2506.03094
最近、また量子コンピューター関連のニュースをよく見掛けるようになっています。実用化はまだまだ先だと思われていた技術ですが、実は想像以上のスピードで技術革新が進んでいます。リープリーパーでは、これからも新しい話題の技術解説をお届けするので、ぜひ、ソーシャルメディアアカウントをフォローしてください!