量子コンピューター

量子エラー訂正の常識を覆すGoogleの新チップ「Willow」の可能性

理人

前回、2024年まとめ記事を書いたばかりなのですが、Googleから新たに量子コンピューターに関するブレイクスルーが発表されました。

発表された新しい量子プロセッサー「Willow」は、量子コンピューターの実用化に向けて大きな壁となっていた、エラー訂正の問題を解決する技術です。

これをスルーして2024年を終えるわけにはいかないので、今回の記事ではそんなGoogleのブレイクスルーについて解説します。以下の記事と併せてお読みください。

量子コンピューターの実現方式について

量子コンピューターには、さまざまな実現方式が存在します。Googleが採用している超電導方式は、超電導体を極低温に冷却して量子ビットを実現する方式です。他にも、イオントラップ方式光量子方式中性原子方式などが研究されていて、それぞれに特徴があります。今回のWillowチップは超電導方式の最新成果として注目を集めています。

量子コンピューターが抱える根本的な課題

量子コンピューターは、量子の重ね合わせ状態を利用して並列計算を行うことで、従来のコンピューターでは解くのに莫大な時間がかかる問題を効率的に解くことができます。しかし、量子状態は温度変化、電磁波、振動など、わずかな外部からの影響でもエラーを起こしてしまいます。例えば、1回の演算の忠実度が99%と非常に高い場合でも、100回の演算を続けると73%という高い確率でエラーが発生してしまうのです。さらに、量子ビットの数を増やすとシステム全体のエラー率も増加してしまい、これが実用化への大きな障壁となっています。

忠実度計算回数ミスの確率
99%100回73%
99.9%100回10%
99.99%100回1%
―量子コンピューターは、ノイズの影響を受ければミスの確率が上がってしまう

エラー訂正と論理量子ビット – 実用化への鍵

この問題を解決するために考案されたのが「量子エラー訂正」という技術です。これは、複数の物理的な量子ビットを組み合わせて1つの「論理量子ビット」を構成し、エラーを検出・訂正することで安定した計算を実現しようという手法です。

例えば、下の図では、5つの物理量子ビットを使って1つの論理量子ビットを構成し、多数決の原理でエラーを検出・訂正しています。しかし、これまでは量子ビットの数を増やすほどエラーも増えてしまい、大規模なシステムの構築が困難でした。

5つの物理量子ビットから1つの論理量子ビットを構成する例
5つの物理量子ビットから1つの論理量子ビットを構成する例

Willowチップに使われた「表面符号」の仕組み

この課題を克服するのが「表面符号」という手法です。これは、量子ビットを2次元の格子状に並べ、隣接する量子ビット間の関係を利用してエラーを検出・訂正する手法です。Googleが開発したWillowチップでは、下図のように、金色で示されたデータ量子ビットが量子情報を保持し、赤、シアン、青で示された測定量子ビットがエラーを検出します。格子のサイズを大きくすることで、より多くのエラーを訂正できる仕組みになっています。

データ量子ビット(金)と測定量子ビット(赤、シアン、青)による表面符号の構造
データ量子ビット(金)と測定量子ビット(赤、シアン、青)による表面符号の構造
出典:Making quantum error correction work – Google Research
https://research.google/blog/making-quantum-error-correction-work/

Willowチップが実現した画期的な進展

Googleが開発したWillowチップでは、表面符号を実装した結果、これまでにない画期的な成果が得られました。量子ビットの格子を3×3から5×5、7×7へと拡大していくことで、同じサイクル数における論理エラー率が大きく低下することが、実験で示されたのです。この「スケーリング」と呼ばれる性質は、より大規模な量子コンピューターの実現可能性を強く示唆しています。これらの成果は、実用的な量子コンピューターの開発に向けた重要なマイルストーンとなりました。

異なるサイズの表面符号における論理エラー確率の比較グラフ
異なるサイズの表面符号における論理エラー確率の比較グラフ
出典:Making quantum error correction work – Google Research
https://research.google/blog/making-quantum-error-correction-work/

エラー訂正の仕組みと閾値の突破

量子エラー訂正には「閾(しきい)値」と呼ばれる重要な境界値が存在します。この閾値は、量子ビット1つあたりのエラー率がどの程度なら訂正が可能かを示す指標です。量子ビットのエラー率がこの閾値を下回らないと、エラー訂正は機能しないのです。

1995年にピーター・ショアによってこの概念が提案されて以来、閾値を突破することは量子コンピューター開発の大きな目標でしたが、ここ30年近く誰も達成できていませんでした。今回Googleが開発したWillowチップは、その閾値を突破したのです。

ベンチマークテストの意味するもの

Willowチップは、標準的なベンチマークテストで驚異的な性能を示しました。現代の最速スーパーコンピューターでも10の25乗年以上も掛かる計算が、Willowチップで5分以内に完了したと報告されています。

ただし、このテストで使用された「ランダム回路サンプリング」は、量子コンピューターの性能評価に特化した特殊な問題です。2019年にGoogleが量子超越性を発表した際も、同様の問題が使われましたが、従来のコンピューターでも工夫次第で高速に解けることが後に判明しました。しかし今回の問題は、以前より格段に難しくなっており、量子コンピューターの着実な進化を示す重要な成果と言えます。

量子コンピューター実用化への課題

今回のWillowチップによる量子エラー訂正の成功は、実用的な量子コンピューターの実現に向けた重要な一歩です。しかし、実際の問題を解くための量子アルゴリズムを実行するには、まだ大きな課題が残されています。現在の105量子ビットから、必要とされる数十万から数百万の論理量子ビットへと規模を拡大しなければなりません。また、エラー訂正技術を、大規模システムでも安定して機能させる必要があります。これらの技術的課題の克服が、次なる研究開発の焦点となります。

論理量子ビットの進化の展望
出典:Making quantum error correction work – Google Research
https://research.google/blog/making-quantum-error-correction-work/

量子コンピューター開発の未来

これまでの量子コンピューター研究は、大きく2つの方向に分かれていました。1つ目は、「ランダム回路サンプリング」のような特殊な問題を解くことです。これは量子コンピューターの性能を証明できますが、残念ながら実社会での応用がありません。2つ目は、新しい材料や薬の開発に役立つ量子シミュレーションのような、より実用的な計算です。ただし、これらの計算は現在のところ、従来のスーパーコンピューターでも解ける範囲に留まっています。

Willowチップの開発は、これら2つの方向性を橋渡しする重要な一歩です。最終的な目標は、従来のコンピューターでは計算できない、かつ実社会で役立つ問題を解けるようにすることです。例えば、気候変動の予測や、より効率的な太陽電池の設計、新しい医薬品の開発など、私たちの生活に直接影響を与える問題の解決に量子コンピューターを活用することを目指しています。今回のブレイクスルーにより、その未来への道筋が少し見えてきたと言えるでしょう。

また一歩、実現に近づいたブレイクスルー

今回の記事では、Googleの開発した量子コンピューターWillowがもたらしたブレイクスルーについて解説しました。

量子コンピューターの最大の課題であったエラー訂正の問題に対して、Willowチップは表面符号という手法を用いて画期的な成果を上げました。量子ビットの格子を大きくすることでエラーを効果的に抑制できることが示され、これは30年来の課題であった「閾値」の突破という重要な成果につながりました。 今後は、このエラー訂正技術をさらに発展させながら、実社会の問題解決に向けた応用研究が進められていくことでしょう。量子コンピューターが私たちの生活を変える日は、着実に近づいているのです。

参考

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博多在住の研究員兼博士課程学生
エンジニアになるつもりで入社しましたが気づいたら研究をしていました。数学が専門ですが、研究はバイオ系です。ときどき採用面接をしたりします。オタクなので月に1度は遠征に出かけます。
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