量子コンピューター最前線2024:誤り訂正のブレイクスルーと今後の展望
2024年も残すところ1ヶ月となりましたが、量子コンピューターの開発は着実な進展を見せています。特に注目すべきは、元Google研究者のジョン・マルティニス氏らが設立したQolab社から報告された、「誤り訂正」技術のブレイクスルーです。この技術は、量子コンピューターの実用化への課題を解決する可能性を秘めています。
今回の記事では、そのブレイクスルーについて、これまでの量子コンピューター開発を振り返りながら解説します。また、この技術革新が私たちの未来にもたらす可能性についても考えていきましょう。
量子コンピューターとは?
私たちの身の回りにあるパソコンやスマートフォンは、「0」と「1」のデジタル信号を使って計算します。これは、電気が「流れる」か「流れない」かという、単純な状態で情報を表現しているのです。
一方、量子コンピューターは量子力学の原理を利用し、「0」と「1」が同時に存在できる状態(量子重ね合わせ)を使って並列計算を実現する次世代コンピューターです。これは、まるで一度に複数の計算を同時に処理できるようなものです。
このような量子力学の特徴を活かすことで、従来のコンピューター(古典コンピューター)では何年もかかるような複雑な計算を、はるかに短時間で処理できる可能性を秘めています。例えば、新薬開発に必要な分子シミュレーションや、暗号技術に関わる計算などが、大幅に高速化されると期待されています。
リープリーパーには、量子コンピューターに関する基礎的な記事もたくさんあります。まずは、以下の記事から読んでみてください。
量子コンピューター開発の二つの段階
量子コンピューターの開発は、大きく二つの段階に分けられます。一つは、「NISQ (Noisy Intermediate-Scale Quantum):ノイズのある中規模量子コンピューター」と呼ばれる段階です。もう一つは、「FTQC (Fault-Tolerant Quantum Computer):誤り訂正量子コンピューター」と呼ばれる段階です。
NISQは、IBMやGoogleなどの企業が現在開発している量子コンピューターです。2023年末にはIBMが1,000量子ビットを超える量子コンピューターの開発に成功し、大きな話題となりました。しかし、NISQには大きな課題があります。それは、量子ビットが外部からの影響(ノイズ)を受けやすく、長時間の計算が困難なことです。
そこで注目されているのが、FTQCです。これは、ノイズによる誤りを自動的に検出し、訂正できる技術を備えた量子コンピューターです。この誤り訂正技術の実現は、量子コンピューターの実用化への重要な鍵となります。なぜなら、複雑な計算には長時間の処理が必要であり、その間ノイズの影響を受けずに計算を続けられることが不可欠だからです。
画期的な研究成果:Qolab社の新提案
このFTQC分野で注目を集めているのが、元Google研究者のジョン・マルティニス氏らが設立したQolab(コラボ)社です。同社は最近、”How to Build a Quantum Supercomputer: Scaling Challenges and Opportunities” というプレプリント論文を発表し、誤り訂正量子コンピューターの実現に向けた新たなアプローチを提案しました。
この論文の重要なポイントは以下のとおりです。
1. 製造方法の革新
最新の半導体製造技術を、量子コンピューターの製造に応用する手法を提案しています。300 mmのシリコンウェハーに2万個の量子ビットを集積できる新しい設計方法により、製造コストの大幅な削減と品質の安定化を実現します。これまで1個あたり数千万円していた量子ビットの製造コストを、大量生産により現実的なレベルまで下げられます。
2. 大規模化への道筋
複数の量子コンピューターユニットを光で接続し、より大きなシステムを構築する方法を提案しています。2万量子ビットを搭載した各ユニットを光学インターコネクトで接続し、100万量子ビット規模まで拡張できます。さらに、スーパーコンピューターと組み合わせることで、量子ビットのエラーを効率的に修正します。
3. 実現可能な開発計画
現在の100量子ビットから、目標の100万量子ビットまでの具体的な開発手順を示しています。各段階での技術的課題とその解決方法を明確にし、既存の半導体産業のインフラを活用することで実現可能性を高めています。この実践的なアプローチにより、大規模量子コンピューターの実用化への道筋が見えてきました。
▼Mohseni, Masoud, et al. “How to Build a Quantum Supercomputer: Scaling Challenges and Opportunities.” arXiv preprint arXiv:2411.10406 (2024).
https://arxiv.org/abs/2411.10406
日本政府も注目:Qolab社への投資
日本政策投資銀行(DBJ)は、量子コンピューターの実用化に向け、Qolab社に約5億円(350万ドル)を出資しました。
この投資は、日本政府が誤り訂正量子コンピューターの実現に向けた、同社の新たなアプローチに大きな期待を寄せていることを示しています。量子コンピューター技術の発展を後押しするとともに、日本の次世代産業育成への貢献も期待されています。
誤り訂正量子コンピューターが実現すると何が変わるのか?
誤り訂正量子コンピューターが実現すると、以下のような革新的な計算が可能になると期待されています。
大きな数の素因数分解を高速に実行
- 現在の暗号技術の基盤を覆す可能性
- 新しい暗号技術の開発が必要に
量子化学計算の実用化
- 複雑な分子の電子状態を正確に計算
- 新薬開発や新材料開発の加速
シミュレーションの高精度化
- 量子系の動的な振る舞いを正確に予測
- より効率的な材料設計が可能に
ただし、これらの実現には100万~1000万量子ビット規模の量子コンピューターが必要とされていて、現在の技術水準(論理量子ビット50未満)からは、まだ大きな技術的ギャップがあります。Qolab社が提案する半導体製造技術を応用した新しいアプローチが実現すれば、この技術的ギャップを埋め、実用的な誤り訂正量子コンピューターの実現が大きく前進すると期待できます。
今後の展望と課題
2024年までの量子コンピューター開発において、各方式で大きな技術進展が報告されています。
- 超電導方式:IBMが1,000量子ビットを超えるQPUを実現し、開発の最前線を走っています。ゲート(量子アルゴリズムを実行する論理要素として機能する量子回路)時間が短く、集積化が可能という利点があります。
- 冷却原子方式:QuEraが48個の論理量子ビットの実現に成功し、注目を集めています。コヒーレンス(量子ビットが外部環境の影響を受けずに、その状態を保てる状態)時間が長く、ゲート時間が短いという特徴があります。
- イオントラップ方式:Microsoftが12個の論理量子ビットの実現に成功しました。コヒーレンス時間が長く、エラー率が小さいという利点があります。
- 光方式:東京大学で研究が進んでいます。常温で動作可能で環境ノイズに強いという大きな利点があります。
ただし、実社会の問題を解決できる真の量子超越性の実現には、まだ技術的な課題が残されています。特に、長いコヒーレンス時間、短いゲート時間、極めて小さなエラー率を同時に備えた量子ビットを、数万を大きく超える規模で集積することが必要です。
直近では、MicrosoftがAtom computing社と協業し、2025年にも商用量子コンピューターを発売すると発表しました。この動きは、量子コンピューターの実用化に向けた大きな一歩と言えるでしょう。
量子コンピューター開発競争は、今後さらに激化すると予想されます。各方式の特徴を活かしつつ、技術的課題を克服し、実用的な量子コンピューターの実現を目指す取り組みが加速していくことでしょう。
量子コンピューターの挑戦は続く
今回の記事では、量子コンピューター開発の最前線、特にQolab社が提案した誤り訂正技術のブレイクスルーについて解説しました。量子コンピューターは、従来のコンピューターでは実現できない高速な計算を可能にし、新薬開発や材料設計、暗号技術など、さまざまな分野に大きな影響を与える可能性を秘めています。
現在、量子コンピューター開発は、超電導方式、冷却原子方式、イオントラップ方式、光方式など、複数の方式で進められています。それぞれの方式には特徴があり、技術的な課題も残されていますが、着実な進展が報告されています。
量子コンピューターは、人類の計算能力を飛躍的に向上させる可能性を秘めています。2025年以降も、この分野の進展に注目していきましょう。
参考資料
▼浮辺 雅宏「量子コンピューターの地平線とこれからの展望」日本政策投資銀行, 2024
https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/ec545a5109f6c805e3783f3013da28d2.pdf