最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

最近のコメント

  1. にんじん
  2. アバター
  3. アバター
  4. タロウ
  5. アバター

社会

不可能を可能にした伝説のMLB選手ジャッキー・ロビンソンの話

kotobato

メジャーリーグベースボール(MLB)で年に一度、全てのプレーヤーが背番号42を付ける日があります。それが4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー Jackie Robinson Day」。彼の勇気と忍耐、そして社会的な正義への積極的な関与は、世界中の人々に深い感銘とインスピレーションを今も与え続けています。

2024年4月15日(月)の「ジャッキーロビンソンデー」当日、ラジオ番組「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」で別所哲也さんとトークさせてもらいました。 不条理な環境や無理解な人々が立ちはだかっても同じレベルでやり返さず、自分の能力を活かし、敵ばかりの中で味方を増やしながら、自分がすべきことで結果を出していくには?コード(ルール)は変えられるのでは?これは今の私たちの話🥎

https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/

J.ロビンソンがいなければ、大谷翔平やイチロー、松井秀喜、野茂英雄など、記録と記憶に残る選手が、MLBで活躍する機会はなかったかもしれません。

▼A look at Jackie’s legacy|MLB公式YouTube

ジャッキー・ロビンソンという、とある黒人選手

ジャッキー・ロビンソンは、近代メジャーリーグで1940年代後半~50年代に掛けて活躍した、最初のアフリカ系アメリカ人プロ野球選手です。人種の壁を破った彼の偉業は、野球界に革命をもたらしただけでなく、社会にも大きな道を開きました。まずは、そんな彼のプロフィールから。

J.ロビンソンは1919年にアメリカジョージア州カイロで生まれ、カリフォルニア州パサディナで育ちました。幼い頃からスポーツが得意で、野球だけでなくバスケットボール、フットボール、陸上の4種目で奨学金を得るほどでした。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学したものの、黒人が仕事を得る上で学問が役に立たないと判断し、名誉退学を選びます。

第二次世界大戦が始まると、アメリカ陸軍に従軍した彼は、スポーツと学業の優秀な成績から、幹部候補生学校に入学を許可されます。しかし、軍で開催されていたスポーツには、黒人だからという理由で試合に出られませんでした。退役後は、黒人選手だけのニグロリーグのチームに入団。持ち前の才能で頭角を現すものの、ここでも有色人種を排除する社会の壁が立ちはだかりました。

1945年、J.ロビンソンは、ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)傘下のマイナーリーグチームでプレーすることになりました。ドジャースと言えば、今、大谷が活躍し、かつては野茂がMLBデビューしたチームで、LAに移転するまでは東海岸が本拠地でした。

J.ロビンソンをスカウトしたドジャースのオーナー、ブランチ・リッキーは、彼に一つの条件を突きつけていました。それが、『差別を受けてもやり返さない勇気を持て』ということ。彼はフィールドでこれに応え、ついに1947年4月15日、ドジャースでメジャーデビューを果たします。

しかし彼は、観客や相手選手、メディア、チームメイトからも激しい人種差別を受け続けました。スタジアムの外でも、本人や家族が命の危険に曝されるほど。それでも、卓越した才能と人格で、オールスターゲームに6回出場し、1949年にはナショナルリーグMVPを受賞、ドジャースをナショナルリーグ優勝6回、ワールドシリーズ優勝1回に導くことに貢献しました(ワールドシリーズでは、何とホームスティールまで!)。

そんな彼の輝かしい栄光を賞賛するため、メジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、彼の背番号「42」番は唯一、MLB全球団を通じた永久欠番に指定されました。そして2004年、この日を記念して「ジャッキー・ロビンソン・デー」が制定されました。この日は、選手だけでなく、監督やコーチ、審判、そして多くのファンも「42」を着用して、彼の歴史的偉業を称えるのです。

フィールド上での活躍にとどまらず、J.ロビンソンの遺産は野球の枠をはるかに超えています。引退後も彼は自分の存在を利用して人種隔離に反対し、社会正義を主張し続けました。また、多くのアフリカ系アメリカ人アスリートの指導者としての役割も果たしました。J.ロビンソンは、1972年に53歳の若さでこの世を去りましたが、遺族が基金を設立・運営するなど、彼の野球界と社会への影響は今も続いています。

彼の苦悩と偉業を記録した、数々のコンテンツ

ジャッキー・ロビンソンについては、生前も死後も、多くの本や映画、テレビ番組、ドキュメンタリーが制作されています。ここでは、その中から3つだけご紹介します。

『42 ~世界を変えた男~』(2013)
一番、アクセスしやすいリソースでしょう。J.ロビンソン役をチャドウィック・ボーズマン、ドジャースのオーナー、ブランチ・リッキー役をハリソン・フォードが演じた伝記映画です。J.ロビンソンがマイナーリーグからメジャーに行くまでの道のりを描き、その過程で直面した人種差別や葛藤を浮き彫りにしています。

▼映画『42~世界を変えた男~』予告編|シネマトゥデイ公式YouTube

『Jackie Robinson』(2016)
4時間ものドキュメンタリーです。アーカイブ映像やインタビュー、ナレーションで、彼の野球人生だけでなく、公民権擁護の活動も取り上げています。監督のケン・バーンズは、過去にもJ.ロビンソンを扱った9部構成のドキュメンタリーシリーズを作ったことがある人物です。日本から本作を見ることはなかなか難しいので、監督がアメリカCBSの人気深夜トーク番組に出演した時に、彼の物語がなぜ今もなお重要か語っている様子だけでもぜひチェック。

▼Watch Jackie Robinson Full Documentary|PBS公式サイト
https://www.pbs.org/kenburns/jackie-robinson

▼Ken Burns Talks Race and Jackie Robinson|The Late Show with Stephen Colbert公式YouTube

『黒人初の大リーガー―ジャッキー・ロビンソン自伝 (新装版)』(1997)
古い本なので、入手はなかなか困難ですが、本人の自伝の翻訳本です。ちなみに初版は1974年に発行されていたことから、日本でも有色人種の活躍は注目を集めていたことが伺えます。出版社がベースボール・マガジン社なのも注目。図書館や古本屋で見つけたらぜひ。

▼黒人初の大リーガー―ジャッキー・ロビンソン自伝 (新装版)|ジャッキー・ロビンソン 著、宮川 毅 訳
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784583033976


エンジニア不足とコストダウン、効率化を、一度に解決できないものか…ソフトウェア開発の常識の壁を打ち破ったのが、走攻守が揃ったローコード開発プラットフォームOutSystems。
▼ジャンプスタート(1日無料トレーニング)へのお申し込みはこちら!
https://www.bluememe.jp/training


J.ロビンソンが出会っていた、2人の伝説的人物

ジャッキー・ロビンソン自身が、社会を変えた伝説的プレーヤーですが、もう2人の歴史を変えた人物たちとの接点がありました。

一人は、公民権運動の指導者であり、アイコンでもあったマーティン・ルーサー・キングJr.牧師です。1950年代後半、J.ロビンソンがブルックリンでプレーしていた頃、南部で公民権運動を指導していたキング牧師に出会いました。J.ロビンソンは公民権を強く主張し、しばしば自分の立場で人種差別や差別に対して発言していました。キング牧師とは、非暴力抵抗と社会正義への関与を共有し続けました。

もう一人は、プロボクサーのモハメド・アリです。J.ロビンソンとアリが出会ったのは、1960年代初頭、当時カシアス・クレイという本名を名乗っていたアリが、ボクシングのキャリアをスタートさせたばかりの頃でした。J.ロビンソンはアリの技量とカリスマ性に感銘を受け、ヘビー級世界王者を目指す彼を応援しました。2人は長年にわたって友人関係を保ち、アリがベトナム戦争への反対やイスラム教への改宗で物議を醸した後も、彼を力強く支持し続けました。

この3人に共通しているのは、人種だけではありません。それは、批判や中傷、命すら危険に曝されるリスクを冒しても、自分自身の言葉として、差別や不公正を糾弾する社会正義への積極的な関与の姿勢でした。

アメリカの、野球の話に限らない「42」の価値は今も

ちなみに、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」をGoogleで検索すると、日本語でも、英語でも「42」と答えが表示されます。ジャッキー・ロビンソンに直接関係はありませんが、ちょっと面白い一致です。

究極の疑問の答えかどうかはともかく、J.ロビンソンがMLBで人種の壁を破ったことで、歴史は変わりました。MLBやアフリカ系アメリカ人に限らず、他のプロスポーツやマイノリティーのアスリートが、自身のキャリアを目指す道を切り拓きました。さらに、自由公民権運動や社会正義活動にも影響を与え、広くアメリカ史において、歴史的な重要人物となりました。

「やり返さない勇気」とは、不条理な環境や偏見を黙認して、ただ耐えよという意味ではありませんでした。攻撃してくる他者と同じレベルに墜ちることなく、本来闘うべき場所で自分の才能を思う存分に発揮せよ!というメッセージだったと感じます。それはオーナーのリッキーが、興行主としての商才もあったと同時に、彼自身が差別を目撃し心を痛めてきた人物だったからです。彼は、キャリアの最後までJ.ロビンソンを守り抜きました。

しかし、残念ながら、人種的偏見や社会的分断は今日でも歴然と存在し続けています。近年のBlack Lives Matter運動にも表れているように、アメリカの人種差別は根深く残っています。また、日本国内でも、マイノリティーに対する差別は、年々大きな社会問題化しています。不条理な状況と困難な障害に直面した時、より公正で公平な社会を目指す上で、私たち全員が果たすべき役割とは何なのか?偏見に固まったり感情に駆られて、対峙すべき相手や場所、方法を見誤りそうになってはいないか?勝利と栄光をどうやって分かち合うべきか?

私たちは、「42」の究極の答えを探求し続けるべきかもしれません。


スタープレーヤーがいなくても、OutSystemsによるローコード開発なら、少人数のチームでもビジネスの勝利を目指せます。ジャンプスタート(1日無料トレーニング)へのお申し込みは今すぐ!
https://www.bluememe.jp/training

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT ME
kotobato
kotobato
リプリパ編集兼外部ライター
企画制作や広告クリエイティブ畑をずっと彷徨ってきました。狙って作るという点ではライティングもデザインの一つだし、オンラインはリアルの別レイヤーで、効率化は愛すべき無駄を作り出すため。各種ジェネレーティブAIと戯れる日々です。
kotobatoの記事一覧

記事URLをコピーしました