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社会

学生と社会人で認識が異なる「失敗」と、日本の学校教育について

案納武蔵

結論から言いましょう。『失敗とは、成功するまでに必ず目の前に立ちはだかる、通過地点である』と。私がそう考える理由と、失敗のメリット・デメリット、日本の学校教育の問題点を踏まえながらお話しします。

肺結核と貧血、そして「失敗」として発見された鉄分の重要性

地球上に存在する物質の35%が鉄です。鉄分と言えば、健康に不可欠だと知られていますが、実は鉄が多すぎることでも人間は貧血を起こします。実は、このことを発見し、原因究明に至った過程で「失敗」がありました。人間が貧血を起こす原因の一つは、鉄分の吸収を抑制するヘプシジンというホルモンが体内に存在しているためです。ではなぜ、人間にとって重要な鉄分を抑制する必要があるのか?

19世紀、とあるヨーロッパの地域で肺結核が蔓延した時、同時に貧血の症状が見られていました。医師らは、肺結核の対策として貧血を治療すれば解決できるとして、患者に鉄分の摂取をさせました。その結果、貧血は解消されたものの、病原菌の活性化を促し、より肺結核の悪化につながってしまったのです。

パリのエッフェル塔

実は、病原菌の生きる上で欠かせない成分が「鉄分」であったため、侵入してきた病原菌から身を守るための対策が、同時に貧血という現象を引き起こしていたのです。

出典:Iron Metabolism in Pathogenic Bacteria | Annual Review of Microbiology
https://www.annualreviews.org/doi/abs/10.1146/annurev.micro.54.1.881

この話は、医師らの行為が致命的な失敗になったことを示しています。しかし私は、大きな失敗以外は、基本的に自分に対して大きなメリットとなり得ると捉えています。

失敗がメリットだと感じられる3つの理由

私が、失敗がメリットだと感じる理由は3つあります。

1.一度失敗を経験していれば、同じ失敗を予測できる

私は子どもの頃、駐車場の真ん中に座っておもちゃを広げ遊んでいたところ、車にひかれたことがありました。救急車や消防車まで来るほどの騒ぎとなり、幸い病院の治療で一命は取り留めたとのことでした。その時に自分が学んだのが、『車の通るところは危ない』でした。

2.正解のない世界では、失敗を一個一個つぶしていく方が近道になる可能性がある

例えば、現在東京にいて、4時間後までに大阪へ行くとなった時、歩きで行くと数日以上掛かり、確実に失敗することがわかります。では乗り物で行こうとした時、自転車もまた、数日かかることが予想できます。車や新幹線、飛行機など時間短縮に適した乗り物でないと、目的を達成できないことがわかる。むしろ時間短縮できるのであれば、どんな手段でも構わないとも言えます。新幹線のチケットが売り切れだった場合も、電車を乗り継いでギリギリ間に合うかもしれませんし、お金も車もなければヒッチハイクで行ったりなど、正解は無数にあります。このような場合は、明らかに失敗して、選択肢にならないことを除外していく方が近道です。

3.友人や同僚、周囲の人たちに失敗を共有することで、同じ失敗を回避してもらうことができる

BlueMemeに入ってから思い始めたことなんですが、躓くと躓いた分だけ誰かの力になれると思っています。何かに失敗した人が、どこでどんな風に躓いたのかを発見しやすくなり、どういう解決法があるのかを提示することができます。また、どこで躓いたのか、どういう躓き方をしたのかを記憶しておくと、すぐに提示できるので、近くにいる人の力になれます。そういった点で、失敗もメリットに感じます。

失敗がデメリットになる3つの要因

しかし、学生や若い社会人はネガティブな印象の失敗に思考を囚われ、心理的不安から「成功のための失敗」という概念まで辿り着きづらいのではないかと思っています。私が、失敗がネガティブになる要因として3つあると感じています。

1.評価と競争

点数で順位付けされたり、赤点というデッドラインのシステムは、周囲にも影響を与えるため、ネガティブ思考の要因になりやすいと思います。例えば、成績順位が10位以内になったら、教師たちにいい大学進学の道を勧められ、そうでなければ諦めるように促されることはありました。また、赤点を取った生徒には、点数が悪かったことへの戒めとして補習に参加させることもありました。

2.成功重視の歴史と文化

日本の歴史において成功重視の傾向が寝ずいた経緯は、江戸時代の初期に溯ります。徳川家康による平和な時代が訪れ、武士の社会が安定し、職を失うことがありませんでした。しかし、幕末に入ると外圧や社会変動から武士の身分や地位が怪しくなりました。不安定な時代に成功と安定が重視され、武士たちは職業やビジネスを模索しました。成功を収めることで個人や家族が確立できるとして、成功に焦点が集まるようになりました。現代も産業革命が頻繁に起こっていて、変化の激しい現代、会社が10年存続する確率は6.3%、16社のうち1社しか生き残れないほどです。

出典:中小企業庁:2017年版「中小企業白書」 全文
https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H29/PDF/h29_pdf_mokujityuu.html

3.学生の時に学んでいることの99%が勉強の域を超えない

私自身は、現状の日本の高等教育は無意味だと思っています。学校で現在の最新技術に触れることはなく、みんなが知っている=誰かがすでに考えたことを教えているに過ぎないと、私は思います。もうすでに誰かが見つけた答えに対して、新たな答えを見つける必要性はありません。そのため、疑問を抱かなくなり、試行錯誤もしなくなり、挑戦に付きまとう失敗に耐性がなくなってしまいます。つまり、今の学校のシステムが社会に適応できていないのではないかと考えています。

フラタニティ世代

1853年の黒船来航から、国民教育が始まりました。その経緯として、諸外国—特に列強と呼ばれたヨーロッパの国々の植民地政策に、いろんな国々が飲まれていきしまた。そんな列強に飲まれないために日本の偉い人は、国民の教育レベルを上げて列強に追いつこうという戦略を取りました。その時代は、偉い人の言うことは何でも正しく、従っていればいいという時代でした。教育制度は社会の工業化に伴い、職業市場の即戦力となる人材が求められ、これに迅速に対応して日本は豊かになっていきました。豊かになったということは、多様性を認めるということなので、自分の個性を持てという市民教育に切り替わりました。豊かになった日本は、工業産業が盛んだったため、型に当てはめるような教育が続き、そういった過去の教育は、多様性を重んじるようになった現代には対応しきれていないと、私は考えます。

もっと言えば、市民教育世代よりも次の世代に突入しているといえます。仮に「フラタニティ」世代と呼称します。フラタニティとは、直訳すると「友愛」という意味ですが、家族とか恋愛とかではなく、そこから脱し、同じ考えを持った人たちが集まることです。例えば、スマホ以外(洗濯機や住む家とか)は、何でも誰かと共有すればいいという考え方の人が集まって、共同生活を送っていくなどの例です。

【未来の教育予想】次世代は繋がりと共生のフラタニティ民!そこで権力を持つのは…!【岡田斗司夫切り抜き】教育論・東京学芸大学講演・繋がり・共生・友愛民・美人・アイドル・国民教育・市民教育 – YouTube

競争する社会から共生する社会に変わりつつある現代に、学校は対応できず、変化を恐れているように見受けられます。現在も、学校のシステムには意味のない規則と従順さが残っています。例えば、ツーブロックの禁止や地毛証明、下着の色指定などといったブラック校則が問題になっています。これらの抑圧的な制度も、挑戦すれば必ず経験する失敗を、極度にネガティブに印象付けるものだと思います。

[nlink url=/2023/12/01/message-from-former-teacher-recruiter2job-hunters/]

『チーズはどこへ消えた? 』の2匹のネズミ

『チーズはどこへ消えた? 』という本があります。

迷宮でチーズを求めて彷徨う二匹のネズミの話なんですが、片方は臆病で、もう片方は好奇心の強いネズミです。とある一か所に、めちゃくちゃチーズのある場所があるんですけど、臆病なネズミはその場所で『ここにチーズがたくさんあるんだから、探しに行かずにここにいればいいじゃん』と主張するんです。好奇心の強いネズミもしばらくはそこにいるんですが、徐々にチーズがなくなってきます。そのままそこにいたら、チーズはいずれなくなってしまうと思った好奇心の強いネズミは、そこを見限って去ってしまいます。だけど臆病なネズミはそこに留まって、ついにはチーズがなくなってしまいます。そこで、ついに探索する決心をします。探索を始めると、動く前まで怖かったものがあまり怖くなくなり、また新たなチーズを発見できました。その時に臆病なネズミは、留まるよりも失敗を恐れず前に進むことに意味があると見出しました。そんなお話です。

チーズはどこへ消えた? | スペンサー ジョンソン, Johnson,Spencer, 門田 美鈴

上に立つ人間は、安定を目指して動いた結果、失敗することを極度に恐れてしまっているのではないか?そのため、新しい挑戦ができず、自分たちのやってきたことは正しいといつまでも正当化し、その考えが学校で継承され、子供らの挑戦を阻害しているのではないかと私は考えます。

教育現場を変えるために必要な人材とは、立場を確立している安定性がある上の人間ではなく、挑戦して失敗していける、「好奇心の強いネズミ」のような変化に対応できる若い世代だと思います。フラタニティ世代の理解が、若い人の挑戦していく環境づくりのヒントとなることでしょう。

失敗で得られる新しい気づき

気づきで、自らの持つ特性を理解すること。良い悪いではなく、あるがままを受け止めること。そのきっかけとして、失敗には意味があると思います。

私の場合、学生の頃、テストでミスしても、『ダメだった、でも覚えても次のテストで同じような問題も出ないし、見直す必要ないな』と思っていました。そのため、なぜ失敗したのかという思考まで辿り着くことができませんでした。その頃の失敗は、失敗のままで終わらせてしまっていました。

ですが、失敗に教えられるこがわかってからは、その有用性に気づきました。例えば、私は外からの刺激が増えると気が散って、短期記憶が飛んでしまうことや、太陽光やBGM、歩く人が視界に入ると、そっちに思考が持っていかれ、目の前のことに対して集中できなくなってしいます。そんな自分の特性を理解することで、外からの刺激のない静かな場所で作業したり、人を視界に入れないようにしたり、対策ができるようになりました。

失敗がきっかけでも、気づくことが多ければ多いほどいいのでは?と思う今日この頃です。

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案納武蔵
案納武蔵
エンジニア
ゲームの専門学校ではプログラマーとして通っていて、C言語やC++、C#などを中心的に学んでいました。中学生のころからずっと一緒にいる猫と共に東京で一人暮らしをしています。玄関開けると肩に飛び乗ってきて、そのまま居座るので着替えられずにいて、癒されています。
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