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プロ野球選手としての貴重な経験で知ったこと―伊東 貴行さん1

リプリパ編集部

BlueMeme/OpenModelsには、特徴的なキャリアを持つ人たちがいます。今回は、プロ野球選手としての経験がある、BlueMemeの経理チーム所属の伊東 貴行さんに話を聞いてみました。仕事という点では、すべてがプロフェッショナルのはず。ただ、アスリートならではの魅力や苦労は、一般人も耳を傾けるべき価値があるのでは?早速、プレイボール!

この記事でインタビューをした方

伊東 貴行 
元プロ野球選手
父親と兄が野球好きだったことで、幼少期から野球を始める。
23歳からは独立リーグで、プロ野球選手として2年間プレーをした。 今は仕事ではなく趣味として野球を続け月に1回は都内のバッティングセンターでストレス発散をしている。

プロ野球選手としての貴重な2年間の経験

― 「香川オリーブガイナーズ」の情報を探してたら、香川県内の全小学校ボールを3つずつ贈ったというニュースを見つけました。LAドジャースの大谷翔平選手が、日本の全小学校にグローブを3つずつ寄贈したことに合わせての活動で。グローブだけじゃ遊べないだろうし、スター選手の寄贈品として飾っておくんじゃなくて、実際に使って欲しいってことらしいです。
野球シーズンも始まって、一石どころかいろんな石があちこちから飛んでた大谷選手も好調で、ホームランを含めて打率3割4分超え。チームメイトの山本由伸投手も、メジャー初勝利を挙げて好調なスタートですよね。

伊東:いやぁ、懐かしいですね。そうです、ここが僕が所属して2年間プレーした香川県のチームです。

― 四国アイランドリーグplusは、一般の人がイメージするいわゆる日本のプロ野球であるNPB(日本野球機構)とは別の独立リーグとはいえ、プロフェッショナルなアスリート集団。リーグとチームの発足が2005年ですから、来年で20周年ですか。伊東さんが所属してたのが2015年・2016年シーズンということで、中期の頃ですね。その2年間を振り返ってみて、どうでしたか?

伊東:僕は元々、大学まで野球をやってたんですけど、そのままこの球団に進んだわけじゃなくて、一度、社会人として就職するタイミングで野球を辞めてるんですよ。

― そうなんですね。でも、秋田商高から流通経済大って、私でも何となく聞いたことがある名門じゃないですか!プロを何人も選出してるんでしょう?

伊東:そうですね、確かに野球が弱いわけではないと思います(笑)。大学も2年生の時からレギュラーでずっと試合に出続けて、4年間プレーしてました。ただ、4年生になった時に、これからもう一つ上の世界―つまりプロで野球をやれるか・やるかを自分で考えた時に、一旦は『もう十分かな』って思ったんです。

なので、野球は大学で一旦区切りを付けて、普通に新卒でガス会社に入社したんです。そこでも、会社でやってる社会人野球のチームには所属してたんですけれど、ガチの野球から離れてみて、『やっぱり、何かもっとやりたかった』っていう感情が段々出てきて…。

― なるほど。物足りなさという不完全燃焼…って、ガスならヤバいじゃないですか(笑)。

伊東:確かに!独立リーグは四国以外にも、2006年に設立されたBCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)があります。関東の5県と、甲信越・東北の各1県で活動してるリーグです。僕がプロ野球選手になった2015年当時は、四国とBCリーグが2強で、その両方の球団テストを受けて、合格した「香川オリーブガイナーズ」に入団したんです。

藤川球児投手と対戦したバッターボックス

― 就職した会社を辞めてまで、やっぱり体験してみたかったプロ野球の世界。選手としての2年間で、一番思い出深いエピソードって何ですか?

伊東:阪神タイガースに所属していた、火の玉ストレートのピッチャー藤川球児投手と対戦したことでしょうか。藤川選手は2013年にメジャーリーグに挑戦し、シカゴ・カブスやテキサス・レンジャーズでプレーしました。その後、2015年に日本球界に戻ってくることになった時に、出身地である地元高知県の球団「高知ファイティングドッグス」へ入団したんです。

― 同じ四国リーグじゃないですか!

伊東:そうなんです。その日本球界への復帰初戦がうちのチームで、先頭バッターが僕だったんです。藤川選手はその後高知で4カ月間プレーし、翌2016年には古巣の阪神タイガースに復帰したんですが、ほんの一瞬とはいえ貴重な時間でした。

― その時、バッターボックスに立っていた伊東さんの心境はどうだったんですか?『俺は別に飾りもんじゃないぜ!』みたいな闘争心は?

伊東:いろいろな感情がありましたね。実は野球界にも、「開幕戦の初球は見送る」といった暗黙の了解みたいな作法があるんです。まして向こうは、キャリアのピークは過ぎ掛かっていたとは言え、メジャーから帰ってきた注目の初戦。復帰を勝利で飾りたいでしょうが、もちろんこっちだって必死です。『自分が結果を出せば目立つだろう!作法なんか関係なく、初球に甘いボールが来たら絶対に打ってやるぞ!』みたいなことは、試合前に凄く考えてました。

― それで初球から思い切り振っていったと。

伊東:はい。結果は、初球の速球をファウル。1-1から三塁前に打ったゴロが内野安打になりました。ヒットはヒットなんで結果は悪くはなかったんですが、あんまりアピールはできませんでした。試合は3-3の引き分けに終わりましたが、取材をいろいろ受けて全国ニュースで使われたり、非日常として記憶に残っています。

対戦相手で知る自分の実力や立ち位置

― そんな現役時代の自分という選手のことを、今ならどう評価しますか?

伊東:自己評価…難しいですね(笑)。自分がどういう選手かっていうのを考えるようになったのは、中学校の頃ですかね。地元の小学校や中学校の野球チームってそんなに強くなかったんで、僕でもレギュラーにはなれるんですよ。大学でも、独立リーグというプロの世界でも。僕は、内野を守っていることが多くて、セカンドやショートがメインでした。

ただ、そこからさらにワンランク上の世界で活躍できるような、特徴のある選手にまではなれない、平均的なスキルだったように思います。

小柄な僕だったら、例えば足がめちゃくちゃ速いとか何か目立つ能力があれば、上の世界でも通用する選手になれたのかもしれないですし、そういったところがちょっと足りなかったなっていう感じはありますね。

― 結果に完全に満足していたとは言えなくても、やはりプロ野球選手としての2年は、凄く濃厚な経験になってるんじゃないですか?

伊東:そうですね。自分自身の経験もありますけど、やっぱり一緒にプレーできた選手たちが凄い人たちばかりでした。読売ジャイアンツやソフトバンクホークスとか、人気球団ともよく試合してたんです。テレビで見てた選手と、同じフィールドで実際に対戦してみて、やっぱり圧倒的な差を感じる部分もあったし、逆に意外とそうでもない感覚も覚えたり。何千万円とか何億円とかの年俸をもらってるトップレベルの選手が、実はそんなに遠くない世界にいるんだなっていうのは、その時凄く感じられたのを覚えています。

― 「本物」を肌感覚として直接知る経験と、競争意識、そして自己ベストを目指す姿勢は大切ですね。


今回、伊東さんには90分ほど話を聞いて4本の記事でお届けしますが、プロ野球選手だった自分のキャリアや野球というスポーツ自体を、冷静に俯瞰している印象を持ちました。世の中のすべての出来事を野球で理解したがる、YouTubeチャンネルをやっている元選手のようなこともなく、逆に競技の話を敢えて避けたがる元アスリートのようでもない、適度な距離を感じました。また、この後何度も登場する『上に行く』というキーフレーズには、内なる熱い上昇志向や向学心の表れも感じました。

ということで、まだまだゲームは続きます!

この記事でインタビューをした方

伊東 貴行 
元プロ野球選手
父親と兄が野球好きだったことで、幼少期から野球を始める。
23歳からは独立リーグで、プロ野球選手として2年間プレーをした。 今は仕事ではなく趣味として野球を続け月に1回は都内のバッティングセンターでストレス発散をしている。

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