絶滅したニホンオオカミが教えてくれるイヌの進化の秘密とは?
最近、「オオカミに最も近いDNAを持つのが柴犬」というSNSの投稿が話題になっていました。愛くるしい見た目の柴犬が、恐ろしいイメージを持たれがちなオオカミと遺伝子的に近い存在であるというギャップに、注目が集まりました。しかし、結論から言えば、柴犬が他の犬種に比べてオオカミに遺伝的に近いとは言えず、その内容は誤りです。
今回の記事では、今年発表された総合研究大学院大学などによるイヌとオオカミ、そしてニホンオオカミのゲノムを調べた研究発表をもとに、上記の内容について掘り下げて解説していきます。
ニホンオオカミとは
本題に入る前に、ニホンオオカミについて簡単に解説します。ニホンオオカミは、かつて日本の本州と四国、九州に生息していた中型のオオカミです。体長約1メートル、肩高約50センチメートルで、現在のオオカミよりもやや小柄でした。
1905年を最後に目撃情報がなく、絶滅したと考えられています。絶滅の主な原因は、狩猟圧の増大、生息地の減少、餌不足、疫病の流行などです。明治時代以降の乱獲や狂犬病の流行が、個体数減少に拍車をかけたとされています。絶滅した種なので、その生態や進化の歴史には不明な点が多くあります。
発表された研究の概要
総合研究大学院大学などによる研究発表の概要は以下です(プレスリリースから引用)。
イヌは最も古くに家畜化された生物であり、ハイイロオオカミ(以下オオカミ)を起源としています。これまでイヌに近縁なオオカミが報告されていなかったため、イヌは絶滅したオオカミのグループを起源とするのではないかと推定されていました。そのため、イヌの起源についてはいまだに謎とされていました。本研究ではニホンオオカミ9個体と日本犬11個体の高深度ゲノム(1)を決定して以下の主要な点を明らかにしました。
- ニホンオオカミは単一起源の遺伝的に他のオオカミとは異なる独自のグループであること。
- ニホンオオカミはイヌのグループに最も遺伝的に近縁なオオカミであること。このことからイヌのグループは東アジア起源だと推定されました。
- ユーラシア大陸の東側のイヌのゲノムにはニホンオオカミの祖先のゲノムが含まれていること。日本犬のゲノムにもニホンオオカミの祖先のゲノムが2〜4%含まれています。
「ニホンオオカミはイヌのグループに最も遺伝的に近縁なオオカミである」とは?
では、「ニホンオオカミはイヌのグループに最も遺伝的に近縁なオオカミである」とはどういうことでしょうか?この研究結果の意味を、詳しく説明します。
この研究によると、オオカミからイヌへの進化の過程は、まず、オオカミの祖先からニホンオオカミとイヌの祖先グループに分岐しました。その後、現在のオオカミやイヌにつながったことが明らかになりました。つまり、ニホンオオカミは、現存するオオカミの中で、イヌに最も近い遺伝的関係にあるということです。
このことから、柴犬とオオカミの間に直接的な遺伝子の分岐があったわけではないことがわかります。実際、柴犬に限らず、全てのイヌ種がオオカミと同等の遺伝的距離を持っているのです。
「遺伝的に近い」とはどういうことか?
「遺伝的に近い」という概念は、生物の遺伝情報であるDNAの配列の類似性を指します。生物は進化の過程で、突然変異や自然選択を通じてDNAの塩基配列に変化を蓄積していきます。この過程で、近縁な生物種ほど、共通の祖先から受け継いだDNA配列を多く共有しています。そのため、遺伝的に近い生物種は、DNAの塩基配列の類似性が高くなるのです。
この遺伝的な近さは、系統樹と呼ばれる樹形図で表すことができます。系統樹の枝の分岐点は、DNAの変化が起こったタイミングを表しており、枝が分かれた左右のグループは、そのDNAの変化によって生じた違いを反映しています。つまり、系統樹上で最初に分岐したグループほど、遺伝的な差異が大きく、最後に分岐したグループほど、遺伝的に近いと言えます。
先ほどの研究結果の系統樹を簡略化して説明すると、イヌの祖先とニホンオオカミの祖先は、同じ枝から分かれています。そして、オオカミの祖先はさらにその上の枝で分かれています。このことから、イヌとニホンオオカミは、オオカミよりも遺伝的に近い関係にあると言えるのです。
ニホンオオカミのゲノムがユーラシア大陸東側のイヌに含まれる理由
また研究の結果、ニホンオオカミの祖先のゲノムは、ユーラシア大陸の東側を原産とするイヌのゲノムにのみ含まれていることが明らかになりました。イヌの品種によってニホンオオカミゲノムの割合は異なり、ニューギニアの高地の野犬とオーストラリアのディンゴに最も多く、次いで日本犬に多く見られました。
研究チームは、この理由として以下のように推定しています。ニホンオオカミの祖先が大陸に生息していた際に、ユーラシア大陸の東のイヌのグループと交雑し、その時にニホンオオカミの祖先のゲノムがイヌのゲノムに移ったのです。その後、大陸で東西のイヌのグループが混ざり合ったことで、ニホンオオカミの祖先のゲノムが薄まり、イヌの品種間で割合の違いが生じたと考えられます。
どうやって絶滅したニホンオオカミのゲノムを入手したのか?
今回の研究では、絶滅したニホンオオカミのゲノムを解析することで、イヌやオオカミとの遺伝的な関係性を明らかにしました。では、一体どのようにしてニホンオオカミのゲノム情報を入手したのでしょうか?
実は、オランダのライデン自然史博物館(現ナチュラリス生物多様性センター)に所蔵されていたニホンオオカミのタイプ標本から、ゲノム情報を取得したのです。タイプ標本とは、新種を記載する際に基準となる標本のことを指します。
現代の技術では、わずかな生物学的サンプルからでもゲノム情報を取得することが可能です。研究チームは、ショートリードシーケンサーと呼ばれる機器を使って、ニホンオオカミの標本からDNAを抽出し、そのゲノム配列を解読しました。この手法は、古い標本や化石化した骨からでもDNA情報を取得できる可能性を秘めていて、絶滅種の研究に新たな道を開く手法として注目されています。
柴犬だけでなくすべてのイヌがニホンオオカミの親戚
今回の記事では、SNSで話題になった「柴犬がオオカミに最も近いDNAを持つ」という不正確な投稿をきっかけに、イヌとオオカミの進化の関係について解説しました。結果的に、ファクトチェックの機会にもなりました。
総合研究大学院大学などの研究チームは、絶滅したニホンオオカミのゲノムを博物館所蔵の標本から最新の技術で解読し、ニホンオオカミがイヌに最も近縁であることを明らかにしました。この発見は、柴犬に限らず全てのイヌ種がオオカミと同等の遺伝的距離を持つことを示しています。
今回の研究は、イヌの進化の歴史に新たな知見をもたらし、オオカミとイヌの関係性を理解する上で重要な知見となるでしょう。
参考
岐阜大学|ニホンオオカミの高深度ゲノム: ニホンオオカミはイヌに最も近縁なオオカミ
https://www.gifu-u.ac.jp/news/research/2024/03/entry01-13068.html