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F1はなぜ世界を熱狂させる?グローバルIPに学ぶファン育成の物語

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F1の年間売上高は約6,100億円、ライブTV視聴者数は前年比21%増—この成長を支えているのは、元々F1に興味がなかった層です。車を持たない20代の女性、ルールより「推し」から入ったZ世代、スポーツよりファッションイベントとして楽しむ人たち。F1はどのようにして「無関心な人」を熱狂させることに成功したのか?その設計思想は、あらゆる組織のファン育成に応用できます。

意図的に設計された熱狂

2025年、F1シーズンを通じてサーキットに足を運んだ観客は延べ675万人。今年の日本GPは3日間で31万5,000人が鈴鹿に集まり、前年をさらに5万人上回りました。

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数字だけ見れば、順調な成長ストーリーに見えます。しかし注目すべきは、単に「増えた」という事実よりも、「増えたのは誰か?」「どうやって増やせたか?」という中身の方。

かつてF1は、一部のカーレースマニアや富裕層向けのニッチなコンテンツだと思われていた時代がありました。ところが今、サーキットを埋めているのは、車を所有したことがない20代の女性であり、レースのルールや専門用語をあまり知らずにドライバーの「推し」を作ったZ世代、スポーツ観戦よりもファッションイベントとして楽しむ層です。LVMHやディオール、レゴ、ペプシがスポンサーに並ぶその景色は、もはやかつての「走る広告塔」というイメージとはまったく異なります。これは偶然の産物ではなく、意図的に設計された熱狂です。

前回の記事では、F1の基礎知識からスタートし、データ活用と人間の判断力という視点から読み解きました。今回は角度を変えて、F1がどのように「興味のなかった人を巻き込んだか?」。そのマーケティング設計とファン育成の構造に迫ります。そしてその構造が、規模やジャンルを超えて、あらゆる組織のビジネスに応用できることを示していきます。

熱狂には「前史」がある—日本のF1ブームと、その後

日本でF1が社会現象になったのは、今から約40年前の1987年から1994年にかけてのことです。フジテレビが独占で地上波放送し、T-SQUAREの「TRUTH」のあのイントロが流れるだけで、茶の間が沸いた時代です。

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背景にはバブル経済の追い風がありました。世界のホンダが技術力を誇って参戦し、ブリジストンがタイヤを、スバルやヤマハがエンジンを供給。集英社やSEGAなど日本企業もジャパンマネーを武器に、スポンサーとして競うように出資していました。中でも語り継がれているのが、1990年の日本GP(当時は秋開催の第15戦)。マクラーレン・ホンダの「音速の貴公子」アイルトン・セナと、フェラーリに移籍した「マエストロ」アラン・プロストによる宿命のタイトル争い。スタート直後の1コーナーで2台が接触しコースアウトするという、衝撃的な決着でA.セナがチャンピオンを獲得する一方、鈴木 亜久里が日本人初の3位表彰台、中嶋 悟も6位入賞を果たすという歴史的なGPでもありました。

ただし振り返ると、当時の熱狂には条件がありました。ブームとはいえ、主役は自分でもステアリングを握る男性社会人や、積極的に情報を取りにいく関心層が中心。バブル崩壊後、日本人ドライバーやホンダの撤退が続くと地上波放送は縮小され、フジテレビの無料放送は実質的に2009年で終わります。それからの間、F1は日本の一般視聴者から遠ざかっていました。

この空白期を経て、2026年に11年ぶりとなる地上波・配信での本格放送が復活。しかし重要なのは、F1の世界的なファン層の拡大が日本より先に起きていたという事実です。では、熱狂は意図的に作れるのか?その答えを示したのが、2017年以降の新展開です。

リバティメディアが変えた「売るもの」

2017年、F1の商業権がアメリカの大手メディア企業リバティメディア(以下、リバティ)に売却されました。買収総額は約44億ドル(当時の為替レートで約4,500億円)。この瞬間、F1は「ヨーロッパの貴族スポーツ」から「グローバルIP(知的財産)ビジネス」へと、経営の文脈が根本から変わりました。

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なぜ、エクレストン体制からリバティへの移行が起きたのか?

背景には構造的な行き詰まりがありました。放映権をペイテレビに売りすぎてファン層が高齢化・縮小したこと、デジタル戦略を拒否し続けたこと、最大市場であるアメリカの取り込みに失敗し続けたこと。「わかる人・払える人だけ来ればいい」という姿勢が、マーケットそのものを縮小させていたのです。熱狂的なコアがビジネスを守ると信じた結果、コアだけ残って先細りした典型例です。

リバティが変えたのはレースそのものではなく、「誰に・何を・どう届けるか?」という設計全体です。参戦チームを、広告出稿者から収益分配を受けるビジネスパートナーへと位置づけ直し、2025年のチーム分配金は総額約14億ドルに達しました。その結果、アウディが「2030年までにチャンピオン獲得」を掲げて新規参入し、キャデラックも参戦。ホンダとフォードもグリッドに戻ってきました。ビジネスとして魅力的な場所に、資本と技術は集まります。

市場開拓の戦略も明確でした。F1不毛の地だったアメリカにマイアミGP(2022年)、ラスベガスGP(2023年)を新設し、年間3レース体制を確立。ディズニー、レゴ、ペプシ、Apple、LVMHが公式パートナーに並ぶ現在の体制は、これらの企業がF1の「多様なファン層へのリーチ」と「エンタメIPとしての拡張性」を評価した結果です。2025年の総収入はメディア権利収入が31.3%を占め、放送契約・F1 TV加入者増・Netflix連動収入が三位一体で成長を牽引しています。

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一方、この成長が盤石かというとそうとも言い切れません。

2026年シーズン開幕直前、中東情勢の悪化によりバーレーンGPとサウジアラビアGPが相次いで中止。開催権料の消失は2億ドル規模に上ると試算されています。気候危機を背景にEV転換が叫ばれながら、エネルギー安全保障の現実が立ちはだかるF1のエネルギー問題も、先が読めないまま続いています。巨大IPといえども、地政学リスクや環境問題とは無縁ではいられない点は、オリンピックや万博が繰り返し突きつけられてきた問いと、構造がよく似ています。完全な解決策でなくとも、今取り得る最良の選択について透明性を持って説明責任を果たす姿勢こそが、ファンの信頼には不可欠です。

「プロダクトを変えなくても、届け方と文脈を変えることで市場は根本から変わる」。リバティが証明したこの原則は、F1以外のあらゆるビジネスにも当てはまります。

「知らない人」を入口に引き込むコンテンツ設計

どれだけ優れた競技でも、知らない人に届かなければファン層は広がりません。リバティが最も力を入れたのが「入口の設計」でした。

その中核を担ったのが、Netflixのドキュメンタリーシリーズ「Formula 1: 栄光のグランプリ(Drive to Survive)」です。2019年配信開始のシーズン1から2026年現在のシーズン8まで続く人気コンテンツで、画期的だったのはレースの結果をほとんど扱わなかった点。フォーカスしたのはチーム代表の人間関係、ドライバーの確執と友情、組織内の政治など、「F1を舞台にした人間ドラマ」でした。モータースポーツを知らなくても楽しめる構成が、特にアメリカ市場の若年層・女性層に刺さり、英国アカデミーテレビクラフト賞やスポーツ・エミー賞など複数の賞も受賞しています。

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続いて2025年、さらに大きな仕掛けが動きます。FIAはAppleと5年間のパートナーシップ契約を結び、映画「F1」を制作・公開しました。主演は、キャリア最高額となる3,000万ドルのギャラで出演したブラッド・ピット。相方役のダムソン・イドリスとともに実際のGPの週末、本物のコースとガレージで撮影され、時速290 km/hの車を自ら運転して臨みました。

Appleが開発した専用車載カメラを最大4台同時に使用するなど、技術面でも前例のない制作体制でした。音楽はハンス・ジマーとスティーブ・マッツァーロが共同担当し、機械的な精密さを表すシンセサイザーとドライバーの人間性を象徴するオーケストラを融合させたスコアを作り上げました。ワーナー・ブラザースによって劇場公開された初のAppleオリジナル映画という位置づけで、その後Apple TV+でも配信されました。

出典:F1 – Official Trailer (2025) Brad Pitt – YouTube

NetflixとAppleに共通する設計思想は「F1を知っていることを前提にしない」という、徹底したハードルの低さでした。既存ファンへの深掘りではなく、入口として機能させるために、コンテンツが「布教ツール」として設計されています。

また、公式ゲームシリーズもその役割を担っています。1996年の第1作以来、毎年新作がリリースされ続け、最新の「F1 25」では実写と区別がつかない映像クオリティーが実現。用語やルール、コースを楽しみながら学べる優れた学習コンテンツとしても機能しています。

出典:『F1®25』公式公開トレーラー – YouTube

日本では2026年、11年ぶりの地上波・配信本格放送が復活しました。FODの実況・サッシャ氏と解説・中野 信治氏は、DAZNで10年以上F1を伝え続けてきた名コンビ。サッシャ自身が「仲間を増やしたい」と明言するように、用語やルール解説から始める中継スタイルは、意図的に間口を下げる設計—つまり、Netflixが映像で実践したことの日本語版です。

ただし、今春のWBCはNetflix独占配信になった際、既存ファンの視聴機会が奪われるという批判が相次ぎました。同じように、視聴習慣や年齢構造が異なる日本市場で同じ戦略が同じ効果を持つかは、今後の展開次第です。

ファン層の多様化と「推し活」の設計

入口を広げた結果、F1のファン層は質的に変わりました。変化の象徴が、Z世代と女性ファンの急増です。

鍵を握るのがドライバーのインフルエンサー化です。ルイス・ハミルトンはディオールとリモワのブランドアンバサダーを務めるファッションアイコン。今年の日本GP前には横浜・大黒パーキングエリアにフェラーリで「降臨」し、その様子がソーシャルメディアで爆発的に拡散されました。レースの結果とは無関係に、日常のふるまいや発信そのものがコンテンツになっています。こうしたドライバーの存在が、アイドルのファンダムに近い「推し活としてのF1観戦」という新しい関わり方を生み出しました。日本のF1ファンの推し活スタイルは、独自の熱量の高さとして海外からも注目されています。

ファッション業界の参入もこの流れを加速させています。LVMHは10年間のパートナーシップを締結し、ルイ・ヴィトンがトロフィーケースを制作、モエ・ヘネシーが表彰台のシャンパンファイトを担い、タグ・ホイヤーが公式計時を務める。それぞれの得意領域でF1という舞台を構成しています。

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こうした変化は、F1が「車に興味がある人のモータースポーツ」から脱却したことを意味します。「モータースポーツのルールを知らなくてもいい」「車が好きでなくてもいい」というハードルの撤廃が、都市部の若年層をファンにしました。重要なのは、このファンの多様化が自然発生したのではないという点。Netflixが人間ドラマを届け、ドライバーがソーシャルメディアで私生活を露出し、LVMHがラグジュアリー体験を設計したように、異なる入口から異なる層を引き込む、多層的な設計の結果です。

間口の設計—メインターゲット以外をどう扱うか?

趣味の世界といえば、古くから繰り返されるトラブルが知られています。それが、熱狂的なマニアが初心者に高圧的になる問題。「にわか」を排除しようとする空気は、コミュニティーをシュリンクさせますが、これは個人・コミュニティーレベルだけの話ではありません。エクレストン体制のF1は、この構造が経営レベルで起きていた事例です。コアと富裕層だけを相手にした結果、市場全体が縮小していく。個人の趣味コミュニティーから巨大ビジネスの経営判断まで、スケールを変えながら同じ形で繰り返される問題です。

ビジネスの現場でも同じ構造はよく見られます。専門性をアピールするあまり初めての顧客が「難しそう」と離れてしまうケース。B2Bがメインだからと個人レベルの関心を無視し続け、将来の意思決定者候補との接点を失うケース。「直接の顧客ではない層」への向き合い方が、中長期的なブランドの厚みを左右します。

ここで私が思い出すのが、カーレースのアーケードゲーム開発にまつわるある話。完璧なシミュレーターを作って判明したのは「トップドライバーのスキルは常人の域をはるかに超えている!」という事実だけだったといいます。重要なのは、高度なスキルがなくても楽しめるバランス設計で、プロ向けと大衆向けは、別物として設計しなければなりません。

実はこれは、私自身が体験したことでもあります。かつてレーシングカー・シミュレーターをゲームセンター感覚で試しに行ったところ、そこにあったのはハイアマチュア向けの本格マシン。富士スピードウェイのコースが広がるコックピットに座ったものの、素人には歯が立たず、「指導教官(!)」からの厳しい指導を受けるだけで終わりました。間口を開けているつもりでも、設計が初心者を想定していなければ、その扉は実質的に閉まっています。

場所の設計も同様です。郊外の専用サーキット中心のF1は、距離・交通・帰路の混雑というUX(ユーザー体験)上の問題を抱えてきました。毎年の鈴鹿GP後の混雑は、その典型例です。どれだけコンテンツの入口を丁寧に設計しても、現場のUXが悪ければ体験は台無しになります。

この課題への一つの答えが、都市部の市街地コースで開催されるフォーミュラE(FE)です。2026年は「Tokyo E-Prix」として7月25日・26日に東京湾岸エリアでナイトレース開催が予定されていて、大阪も誘致に動いています。

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間口を広げることは、コアを薄めることではありません。多様な入口を用意し、それぞれのペースで深みにはまっていけるグラデーションの設計こそが、持続的なファン育成の要件です。

世界規模の設計思想を、地域・組織スケールに展開

F1が実践してきたファン育成の設計思想は、グローバルIPだけに許された特権ではありません。同じ原則は、地域に根ざしたスポーツチームの現場でもすでに動いています。

熊本を拠点とするプロバスケットボールチーム、熊本ヴォルターズの取り組みはその好例です。今年は、2016年4月の熊本地震からちょうど10年。ヴォルターズは地域コミュニティーの復興と再生に関わりながら、チームとファン・地域との絆を育て続けてきました。

その関係を支えるインフラとして活用されているのが、ノーコードCRMツールのCreatioです。ファンや法人スポンサーとの関係管理をデジタルで一元化し、行動データやコミュニケーション履歴、チケット購入の傾向などを蓄積・分析することで、一人ひとりに合ったアプローチが可能になります。

ここで注目したいのが「ノーコード」という点。専門知識がなくても使いこなせるツールの登場は、データ活用とファン育成の設計をエンジニアだけの領域から解放しました。F1がNetflixやゲームを通じて「専門知識がなくても楽しめる」入口を作ったことと、本質的に同じ発想です。「民主化」は、スポーツ観戦の文脈でも、ソフトウェア開発の文脈でも、同じ方向に向かっています。

F1がNetflixで「推し」を作り、LVMHでVIP体験を設計し、ゲームで若年層の入口を作ったこと。ヴォルターズがCRMでファン一人ひとりとの関係を積み上げていること。スケールもジャンルも違いますが、本質的には同じ問いへの答えです。「この人にとって、自分たちはどんな存在か」を問い続け、データで確認しながら関係を育てていくスタンスです。

B2BかB2Cかという区別も、この文脈では本質的ではありません。意思決定しているのは最終的に個人であり、担当者が変わり会社が変わっても「あの会社とは気持ちよく仕事ができる」という記憶と信頼は人に紐づいて残ります。自社の直接の顧客ではない層との関係を丁寧に育てることが、中長期的なビジネスの厚みを作ります。

勝利へと導くファンとの良好な関係づくり

映画『F1』の脚本には、マクラーレンの元チーム代表ロン・デニスによる格言が引用されています。

1位でフィニッシュするには、まず完走しなければならない

今、目の前にあるゴールを目指し、勝利することも確かに重要です。しかし、長いシーズンを通じて戦い抜くためには、チーム全体のサポートが重要であり、まだファンではない人たちの関心も含めたサーキットの外からの応援も、すべてが力になります。

レギュレーションは毎年変わります。外部環境も、地政学リスクも、技術も変わり続けます。それでも、ファンやステークホルダーとの良好な関係が勝利には不可欠だということは変わりません。F1が75年かけて学んできたのは、速さだけでは人は熱狂しないという事実です。熱狂は偶然に生まれるのではなく、設計して育てていくものです。


御社のビジネスにおいても、ファンを中心としたステークホルダーとの良好な関係づくりは設計できます。そのために、変化に強い柔軟なアジャイル開発があります。BlueMemeと一緒に、チェッカーフラッグを駆け抜けませんか?ぜひ一度、ご相談ください。

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リプリパ編集兼外部ライター
企画制作や広告クリエイティブ畑をずっと彷徨ってきました。狙って作るという点ではライティングもデザインの一つだし、オンラインはリアルの別レイヤーで、効率化は愛すべき無駄を作り出すため。各種ジェネレーティブAIと戯れる日々です。
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