音楽の女神が示す、楽譜を後世に遺す真の価値とは―江崎昭汰さん6
ピアニスト兼BlueMemeのビジネスアーキテクト(BA)の江崎さんによるトークもフィナーレ。まさに、使っている楽譜作成用のソフトウェアFinale(フィナーレ)や、テクノロジー面のさらなる話を聞きました。そして、貴重な音楽を遺していくことの文化的意義についても。
音楽に特化した汎用フォーマットMusicXML
― ところで、Finaleで作る楽譜って、何か音楽専用または汎用的なフォーマットがあるんですか?
江崎:はい。Finaleは独自のネイティブフォーマットがありますが、音楽にはMusicXMLという専用のファイルフォーマットがあります。
▼MusicXML 4.0
https://www.w3.org/2021/06/musicxml40/
― なるほど!ちゃんとW3Cで定義されてるんですね。
江崎:これは音楽ツール共通の汎用フォーマットなので、完全に最大公約数的な、音と長さ、和音、拍子だけを保持しています。なので、音符のスペーシングや音符の連桁(れんこう)の角度といった、細かい情報は保持されないんです。
― 前回、著作権が切れた楽譜は、電子書籍の青空文庫のようなパブリックドメインとして公開されているという話が出ました。MusicXMLも、電子書籍におけるEPUBの仕様に通じてますね。版面になった時のレイアウトの美しさまでを完全に規定しているわけじゃなくて、あくまでもデータとして保持してるだけっていう。
江崎:そうです。なので楽譜の制作を外注するときは、『Finaleを持っていなかったら、MusicXMLでファイルを納品してください』とお願いしています。
― このMusicXMLの状態だと、当然、コピペで編集できるわけですよね。多分、ハイライトやブックマークも。一方、Illustratorで最終調整するとグラフィックス、つまり絵になるんですよね。お客さんによっては、『追加料金をちゃんと払うからMusicXMLも欲しい!』人っていないんですか?本だと、時々、紙の本と電子書籍の両方がセットになっている商品がありますが。
江崎:いますけど、MusicXMLだとコピーされ放題になってしまいますし、MIDIも自由に生成できる状態になってしまうのでお渡ししていません。ただ、ミューズ・プレスはPDFでも楽譜を販売しています。PDFと紙の両方を購入されている方もいらっしゃいますよ。
ミューズ・プレスの楽譜を見た人から『どうやって浄書してるか教えてくれ』っていう問い合わせはよく来ます。これもまた中国からで、15~16歳くらいの若い人が英語で長文を送ってきます。そういった時は、浄書のノウハウをお伝えするようにしています。
― 特徴的な楽譜を欲しがっていた、昔の江崎少年みたいじゃないですか(笑)。
江崎:もう、完全に別料金で報酬をいただきたいぐらい、丁寧に情報を教えてます(笑)。だから、ミューズ・プレスの浄書が好きっていう人は一定数いらっしゃいます。本当に嬉しいことです。
― 江崎さんは、楽譜の綺麗な見た目を完全に再現することを大事にしているし、紙というアナログなメディアも相まって、ある意味コピーガードにもなってるんでしょうね。
江崎:確かに、そういう面はあるかもしれません。特徴的な美しい譜面だからこそ、自分が買ったものを簡単に他人にコピーしたくない、そういった欲求が譜面から生み出されていると良いなと思っています。
OCRやAI画像解析による楽譜の自動浄書は可能か?
― 譜面として残っていても、それは必ずしも他の人にも演奏してくれっていう意味じゃないっていうのも面白いです。でも、作曲家本人が譜面に遺していなかった曲の譜面化って、もしかしたら、純文学の作家が昔の恋人にあてた手紙を後年晒されるようなものかもしれませんね。歴史的価値とか勝手に評価されて(笑)。
江崎:本当にそうですね。時おり、作曲家がクオリティーに満足せずに破棄したはずの作品がこっそりと破棄を免れて後々発見される。その後、いろいろな場所で演奏されて大好評なんていう作品もあります。ファンにとっては嬉しいですが、作曲家にとっては嬉しくない出来事でしょうね。
― さっき、MIDIってキーワードが出ましたけど、例えば、楽譜のOCRというか、何かAI的な画像認識による、自動採譜みたいなテクノロジーは登場していないんですか?前回の記事で言及していた、奇特な作曲家ソラブジの超大作も変換できるような。
江崎:実は、一応そういう試みはありました。楽譜をカメラやスキャナーで撮って、それをOCR的に読み込んで自動認識させる技術です。精度の問題はあるものの、簡単に楽譜データ化できたようです。ただ、一部の出版社から反対があったとか、ないとか。
― なるほどね。わからないじゃ無いです。でも、止められないだろうなぁ。
江崎:確かに、ピアノの楽譜を撮ったらそれを演奏してくれるアプリとかありますからね。少なくとも、Finaleでは、まだそういったツールは出てきてないです。
人が作ってきた貴重な音楽作品を遺していく文化的ミッション
― いろんな人に聴いて楽しんでもらうためとは限らない音楽がある。そう考えると、まだ一般に演奏されたことがない曲って、タイムカプセルみたいですよね。
江崎:そうですね。音として演奏された時には、『まさか、自分が生きてる間にこの曲を聴けると思わなかった』と感動します。
― 失われ掛けていた楽譜を発掘したり、未知の曲に出会えたり、効率的に浄書できるようになったのは、インターネットやデバイス、ソフトウェアが発達した恩恵ですね。ということは、それと同時に、近年以降、世の中の大半の楽譜は、最初から綺麗な状態で残され、どこかに確実にインデックスされてくわけですよね?考古学的に発掘する必要も、お宝を見つけるチャンスも少なくなっていくんでしょうか?
江崎:そうです。最近はみんな最初からデータとして打ち込んでるんで、紙としての楽譜はそもそも存在しないから、残らないですね。紙の上で作曲してほしいです(笑)。
― 1982年にCDが登場して、もう40年を越えました。実はCDを初めとするメディアとしての光ディスクは耐用年数が意外と短くて、接着剤の劣化で記録面が剥離する悲惨な例が報告されてます。今こうして、ミューズ・プレスさんが活動できてるのは、紙というメディアで残ってるからですよね。これから先、ピアノ曲でも木簡か石に刻んどくのが安全なのかもしれませんね(笑)。
江崎:もしかしたら200年後は、今のデジタルデータはほとんど残っておらず、結果的に紙だけが残っていたなんてことになっているかもしれません。
― さて、6回にわたって聞いてきた江崎さんのトークですが、やっぱり最初の話に戻ります。多くの浄書プロジェクトは、人力でも残せる内に残しておかないと、人類の貴重な文化遺産が次世代に引き継げないと危機感を抱く人たちが、有志として採算度外視でやっているんですね。
江崎:正直、それはあります。金銭的な利益よりも、文化的な価値を求めて動くしかないですよね。誰かのためじゃなくて自分のため、自己満足だといえばそうなんですが、自己満足でもここまでやるか?っていう感じです。ただ、現代にこうやって古い楽譜が遺ってるというのは、やっぱり文化遺産を継承してくれた先人たちがいたからこそなんだと思います。また、作曲家が故人になった曲も、綺麗な楽譜にして音として聴いてみたいっていう、音楽家としての好奇心もあります。
― ありがとうございました。IMAGINARC、楽しみにしています!
江崎:こちらこそ、ありがとうございました。
江崎さんが、IT企業のビジネスワーカーでありピアニストでもあることは、どちらがメイン/サブのパーソナリティーではなく、同時に両立可能な役割なのだと感じました。また、BA(ビジネスアーキテクト)として、ローコード・ノーコード開発プラットフォームを利用した価値を顧客に提供する立場は、文系人材としてのシチズンデベロッパー(市民開発者)のロールモデルの一人かもしれません。
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