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カルチャー

カレー店だらけの東京神田で食わず嫌いが知る思い込みのもったいなさ

タロウ

カレーの有名どころである東京の神田錦町勤務になった私は、幼少期から辛いカレーがちょっと苦手です。でも、何となく食べてみたら美味しいと感じたので、思い込みは自分の選択肢を狭めるかもしれないと思いました。

きっかけはふらりと立ち寄った「とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 」

私は辛い物が苦手です。具体的にどれくらい辛さが苦手かというと、特に辛い物好きではない人が「全然辛くない」と評価する食べ物でも、悶絶して汗をたらしながら水を大量に飲むはめになります。そのため、カレーも好んで食べることはありませんでした。

そんな苦手意識に変化があったのは、会社からの帰宅途中にカレーをテイクアウトしたことがきっかけでした。さらにたどれば、東京の神田錦町勤務になったことがきっかけと言えます。

つい数か月前、就職を機に生まれて初めて東京に訪れました。そのため地名を聞いてもどんな町で何が有名かもさっぱり分からず、勤務地が神田錦町と聞いてもぴんと来ませんでした。しかし、聞くところによると神田はカレーと古書店の町とのこと。

確かに、最寄りの神保町駅を出てすぐにいろいろなカレー店があり、朝も夜もカレーの香りと共に通勤しています。夏は蒸し暑い中、朝からスパイシーな香りは少々きつかったですが、冬になり涼しくなってくると途端に食欲をそそられます。そして先日、心地いい空気と胃を刺激する香りに誘われて、神田小川町にある「とんかつ檍(あおき)のカレー屋 いっぺこっぺ」のとんかつカレー弁当をテイクアウトしていました。

「とんかつ檍(あおき)のカレー屋 いっぺこっぺ」のとんかつカレー弁当

帰宅して早々、勢いで買ってしまったことを少し後悔しました。蓋を開けた瞬間スパイスの香りが広がり、辛いのではないかと思ったからです。辛くないことを祈りながら、いざ食べてみたところ驚きました。やっぱり私には辛かったこと、しかし辛さの中に美味しさを感じたこと、そしてそれ以上に「私って、カレー苦手じゃなかったか?」という自分自身への驚き。

帰宅までの時間で少し冷めていましたが、猫舌の私からすればちょうどいい温度でした。会注文してから揚げられたとんかつはサクサク、ジューシーで柔らかく思わず目を見開きました。空腹も相まって夢中で食べていましたが、それなりに米の量がありとんかつもボリューム満点だったので、半分は次の日にとっておくことに。食後は、満腹感と驚きでいっぱいでした。カレーってこんなに美味しいものだったっけ?

年齢と食の変化、それでも変わらなかったカレーへの苦手意識は思い込み?

元々、私は辛い物が苦手です。遡ってみると、幼少期から食べ物の好き嫌いが多い子供でした。ゴーヤ、ピーマン、ブロッコリー、ひじき、梅干し、オリーブ、豆類、魚類全般など。例を挙げだすときりがなく、子供が苦手な食べ物ランキングの多くが該当していました。特に苦さと辛さへの耐性がなく、苦手な食べ物の筆頭はカレー。いや、好きでも嫌いでもないけれど、自分から進んでは選ばないメニューでした。

小学生の頃、給食のメニュー表にカレーが載っているのを見てクラスメイトが喜ぶ傍らで、ひっそり落胆していたことをぼんやりと覚えています。

年齢を重ねるにつれて、自分の食の変化を実感することが多くなりました。気付けば好きだったものをあまり食べなくなっていたり、逆にいつの間にか苦手を克服して食べられるようになっていたりします。

このように、昔と比較すると味わえる食の幅はぐっと広がりました。ですが、それでも好き嫌いは多い方だと思います。今でも魚卵系、梅干し、オリーブ、納豆は変わらず苦手です。特に辛さへの苦手意識は根強いままで、変わらずカレーも好んで選ぶことはありませんでした。

だから、自分はカレーが苦手で、この先もずっと苦手なままだと思い込んでいたのだと気付きました。つまり、これまで自分の中に根付いていた「カレー=辛い=苦手」の構図とのギャップに驚いたのです。

思い込みやイメージって、もったいないかもしれない

この思い込みに気付いたとき、最初に感じたのは、もったいないかもしれないということでした。こんなふうに思い込むことは、自分で自分の選択の幅を狭めているかもしれないと。自分はカレーが苦手だ。そう思い込んでいたことによって、ほんの少しだとしても食を楽しむ機会を逃していた気がします。

「人生損しているよ」食べたことのない物に対して言われたりする、このフレーズを今まで大げさに思っていました。ですが、確かにちょっと損していたかもしれないと身をもって感じました。だから、真っ先に思い込みはもったいないかもしれないと感じたのだと思います。

思い込まないことは食にかぎった話ではなく、何事においても、選択肢が増えれば増えた分だけ心に余裕が生まれる気がします。個人的に、「こうでないといけない」より「これでもいいかもしれない」という思考のほうが気楽です。

これまでの自分の経験を振り返ってみると、思い込みは、まるで思考停止ボタンみたいです。これしかない。そう思ってしまうと停止ボタンを押されたように、思考がストップしてしまいがちでした。改善策や解決策など、現状をより良くすることができる効率的な案やアイデアを思いつくきっかけを自分で減らしてしまっていた。

どうして思い込んでしまうのか?考えついた原因は、経験則から思考回路が固定化されてしまっているかもしれないということでした。恐らく、これまでの自分の経験に基づいてパターン分けがされているでは?と。

こういうときはこうなんだ。こうするほうがいい。そういった考えが脳に刷り込まれていた気がします。

もっともらしいことを言いましたが、単純にこれまで美味しさに気付かなかったことが悔しかったわけです。例えるなら、食べず嫌いをしていたけど、食べてみたら予想外に美味しかったときのような肩透かし感です。スパイスの力は、侮れません。

経験則からの思い込み vs 柔軟性

ですが、同時にここで矛盾したことも思いました。

刷り込みでもあるけど、経験則って大切だよなと。実際に経験してみなければ分からないことや学べないこと、体験したからこその気付きがあると私自身が感じてきたからです。何より個人的には、先に理屈や構造を理解するより、実践してみるほうが全体像を把握するための近道でした。これも個人的な話で、経験則。

それはそれとして、時には柔軟に物事を考えることも重要だと思います。柔軟に対応できるほうが自分も困ることがなく、円滑に物事を進めることができます。

じゃあつまり経験則と柔軟性、どっちのほうが大事なんだ?ルーから?ライスから?混ぜる?混ぜない?ナン?サラダは?

このようにぐるぐると考えた末、結局のところ何においてもバランスが大切で、その加減を見極められるようになることが必要なのだろうなと結論づきました。どちらかに偏っているよりバランス良いほうが対応することができるし、それこそ型や思い込みに囚われることなく考えることができると思ったからです。持っている場合分けやパターンの数が多いほど、対応できる場面は増えるのだろうなと。基礎知識がたくさんあれば、応用問題も解けやすいみたいに。

時と場合や状況に合わせて、柔軟に対応することは難しいです。必要なことでもあり、自分自身は苦手とすることなので習得したいです。ひとまずは、思い込みから視野が狭くなってしまいがちな私は、立ち止まって1歩引いてみることを意識したいです。全体を見渡してみること、とにかく実践してみることを忘れないようにできたらいいなと思います。


先日、仕事から帰る時に、駅構内にポスターが貼られているのが目に止まり、何かと思えば「神田カレーグランプリ」の文字。神田界隈では、複数のカレー店が参加するスタンプラリー式の人気イベントが、毎年定期的に開催されているのでした。

今年の「神田カレーグランプリ」開催までは、まだちょっと期間が空いていそうです。辛さをちょっとだけ増やせても、思い込みを減らせられたら、結果的に自分にとっていいことが増えるのかもしれない。また思い切って別のカレーを食べてみれば、意外と美味しい食べ物ではなく好物へと仲間入りしているかもしれない。そんな風に、何事にもフラットな目線で考えられ、挑戦できるようになったらいいなと思います。

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犬好き広報
IT企業で広報業務をしています。趣味は漫画アニメ鑑賞と大型書店の探検、散歩中の犬を眺めることです。
最近の悩みは、脂っこいものや生クリームがきつくなってきたことです。
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